公園について
ひなた宮崎県総合運動公園について
置県80周年記念事業のひとつとして、近代的な施設を有する総合体育施設として建設されました。自然環境を生かした修景植栽による公園美を形成し、緑の中のスポーツ公園として、宮崎のスポーツ・レクリエーションの中核施設として広く県民に利用されています。
「森の中に競技施設をつくる」をコンセプトの元、公園を親しみやすく利用するため、自然環境を十分に生かしながら、約500種42万本が修景植栽され、日本庭園の他、市町村の森など、多くの植栽地に分け、教材的な植物公園としての機能を持っています。
また、スポーツ施設も充実しており、19施設32競技が可能で、本県のスポーツ施設の拠点となっています。県の推進する「スポーツランド宮崎」の中心的な施設として、プロスポーツ団体などのキャンプ等に活用され、全国規模の大会にも利用されています。
所在地 | 宮崎市大字熊野 |
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開設 | 昭和38年着工、昭和46年3月供用開始 |
都市計画公園区域 | 154.0 ha |
供用区域 | 102.2 ha |
公園の歩み
- 令和2年4月
- ネーミングライツ制度により、米良電器産業株式会社がスポンサー企業となる
(運用期間:令和2年4月~) - 令和元年9月
- ネーミングライツ契約満期終了
- 平成26年10月
- ネーミングライツ制度が導入され、霧島酒造株式会社がスポンサー企業となる
(運用期間:平成26年10月1日~平成31年9月30日) - 平成16年4月
- 全天候型運動施設「木の花ドーム」オープン
宮崎市営球場(ひむか球場)移譲 - 平成14年5月
- W杯サッカー宮崎キャンプ(スウェーデン代表)
- 平成14年2月
- トロピカルブリッジ完成
- 平成13年2月
- サンマリンスタジアム宮崎オープン
- 平成10年11月
- 宮崎県武道館完成
- 平成5年10月
- 第10回世界ベテランズ陸上競技選手権宮崎大会開催
- 平成4年8月
- 全国高校総体開催
- 昭和63年3月
- ソテツ広場アスレチック遊戯施設完成
- 昭和57年2月
- 屋内練習場完成
- 昭和56年3月
- 日本庭園完成、ゲートボール場完成
- 昭和56年
- みやざきフラワーショー開催場所が平和台より運動公園に移転
- 昭和54年3月
- 屋内温室プール、児童プール、噴水完成
- 昭和53年3月
- 自転車競技場、モニュメント、炬火台完成
- 昭和51年6月
- トレーニング場完成
- 昭和51年3月
- 合宿所完成
- 昭和49年8月
- 公式野球場完成(宮崎市営)
- 昭和48年12月
- 陸上競技場完成昭和49年3月 テニスコート24面完成
- 昭和48年6月
- 第2陸上競技場、投てき場完成
- 昭和47年3月
- サッカー競技場1面、ラグビー場1面、補助球技場完成
- 昭和46年3月
- 野球広場2面、軟式野球場3面完成
- 昭和43年10月
- 総合体育施設建設事業を宮崎都市計画公園(宮崎県総合運動公園)として決定
(建設省告示) - 昭和42年3月
- 干拓地売買契約調印昭和43年8月 総合体育施設埋立工事着手
- 昭和41年12月
- 土地収容法の規定に基づき総合体育施設建設事業の認定を建設大臣より受ける
- 昭和41年8月
- 九州農政局から干拓地、払い下げ内定通知
- 昭和40年9月
-
木崎干拓転用払い下げ申請資料を九州農政局へ提出
総合体育施設候補地を宮崎県スポーツ振興審議会に諮問
宮崎県スポーツ振興審議会から木崎干拓地が最適地であるとの答申を受ける - 昭和40年7月
- 建設委員会で第一候補地、木崎地区、第二候補地、芳士雀塚地区を決定
- 昭和39年4月
- 宮崎県教育委員会訓令第2号の規定により、宮崎県総合体育施設建設企画委員会を
設置。委員20名監事14名にて構成 - 昭和38年5月
- 置県80周年記念事業の一つとして総合体育施設の建設の意図を公表
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- 案内リーフレット