神話と阿波岐原

みそぎ祓(はら)いのルーツ・阿波岐原

阿波岐原は、日本最古の歴史書「古事記」の舞台で、祝詞の冒頭では「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と唱えられています 。阿波岐原の広大な松林にある江田神社は、男神イザナキと女神イザナミを祀っています。

イザナキ・イザナミの両神は国生みの神で、大八島をはじめ多くの島々や神々を生みました。最後に火の神を出産したとき、イザナミは全身焼け ただれて死んでしまいます。

イザナキは妻が忘れられず死の国「黄泉の国」まで会いに行きますが、イザナミの醜い死の姿に驚き夢中で逃げだしました。途中、イザナミに 追いかけられますが必死に地上に逃げ帰り、死の国の汚れをお祓いされたのが、阿波岐原に現在もある「みそぎ池」だといわれています。

イザナキが「みそぎ祓い」をしたとき、投げ捨てた杖や着物などからさまざまな神が生まれ、身体を洗うと、またさまざまな神が生まれました。 最後に左目を洗うと「アマテラス(天照大神)」が、右目を洗うと「ツクヨミ(月読命)」が、鼻を洗うと「スサノオ(須佐之男命)」が誕生したといわれています。

イザナキは三神にそれぞれ「高天原」「夜の世界」「海原」を治めるように命じられました。


  • 神話の舞台・みそぎ池(御池)

  • 6月にはスイレンが一斉に花開く

イザナキ・イザナミをまつる江田神社

「続日本書紀」では837年(承和4年)「江田神社」として官社に列し、さらに延喜式では日向国式内四座の一つとなっていて、日向国内でも 有数の古社として古くから崇敬を受けていました。

一ツ葉海岸の名前の由来

一ツ葉森林公園一帯は、昔は大きな入り江があり「一ツ葉浜」と呼ばれていました。

江戸時代の中ごろ、この浜に葉が一つしか付かない松の木が見つかり、人々は不思議がり一ツ葉の松と呼びました。イザナキノミコトが禊ぎをした地に生えた聖なる松であるとして、一ツ葉稲荷社を建てたと伝えられています。

一ツ葉海岸に伝わる話

昔、この入り江で漁をして暮らしていた四十右衛門(よそえもん)という若者がいました。彼は独身で早く嫁をもらいたいと一生懸命働いていました。

ある夏の日、いつものように投網をうっても獲物が上がらず、あきらめて帰ろうとすると背中に捕れたての魚をたくさん入れたカゴを背負った美しい娘に出会いました。あまりの美しさに四十右衛門が見とれていると、娘はにっこりと会釈して通り過ぎました。

翌日も四十右衛門は魚が捕れず帰ろうとしたとき、また昨日の娘に会いました。「あんたはどこでこんなに漁があったのか」と四十右衛門が尋ねると、娘は「三本松の所だ」と言い、「観音経を唱えながら網を入れなさい」と教えてくれました。

四十右衛門は家に帰ると一晩中唱え続けて暗唱し、朝一番に入り江で観音経を唱えながら網を打つと、ずしりと手応えがありました。網を上げると一体の観音像がかかっていたので彼は驚き、その観音像を正光寺(宮崎市吉村町)に預けました。帰りに寺の山門を出ようとすると、あの娘が立っていて「私は豊後の国東から来た。よい婿が見つかるように観音様に願をかけたら、日向の四十右衛門を訪ねよ、とお告げがあった」と言うのです。

四十右衛門は驚きながらもこの娘と結婚し、観音様をあがめました。毎日豊漁が続き、嫁が町に売りに行けば飛ぶように売れ、四十右衛門は村一番の金持ちになったということです。