石碑のご紹介

古くから景勝地として名高い青島は、古来より多くの人々によって、詩や歌にうたわれています。そして若山牧水をはじめ多くの文人が訪れ、歌碑も残されています。

この宮交ボタニックガーデン青島にも、文学碑が建立されています。

長塚 節(ながつか たかし)

明治12年~大正4年。歌人、小説家。茨城県岡田郡国生村(現 常総市国生)の豪農の長男として生まれる。

3歳の頃に小倉百人一首をそらんじ、神童と言われ、早くからその才能を発揮していた。

21才で正岡子規の門をたたき、伊藤左千夫らと「アララギ」を創刊。一方で病気療養を兼ね、すげがさ、わらじという軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠んだ。

喉頭結核を発症し、旅をしながら九州大学付属病院で満35才の短い生涯を閉じる。

宮交ボタニックガーデン青島内
「とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のをらぶ夜は憂し」
(大正3年9月13日)
橘公園内
「朝まだきすずしくわたる橋の上に霧島ひくく沈みたり見ゆ」
(大正3年8月27日)
野尻町ゆうぱるの丘
「霧島は馬の蹄にたててゆく埃のなかに遠ぞきにけり」
(大正3年8月18日)

金子 兜太(かねこ とうた)

大正8年~平成30年。俳人。埼玉県に生まれる。秩父郡皆野町に育つ。

茨城県旧制水戸高校在学中に俳句を始め、復員後日銀に勤めていた昭和37年に同人誌「海程」を創刊。現代俳句協会名誉会長などを務めた。

句碑は金子兜太さんと親交のあった故山下淳さんの夫人の呼びかけで、宮崎俳句研究会、海程宮崎支部などが賛同して建立。宮崎市芸術文化連盟などが協賛した。

宮交ボタニックガーデン青島内
「ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ」
(平成17年7月10日 85歳)