あおしまを歩こう
あおしまを歩こう
まるごとブーゲン青島再勢とは
ブーゲンビリア物語
神話・伝説
周辺観光案内
青島へのアクセス
まちめぐりマップ
サイクリングMAP
 
■青島エリア
ここでは青島エリアの楽しめるスポットを紹介しています。下記の項目をクリックするとそれぞれのページに移動します。
青島 鬼の洗濯板 青島神社
青島神社の祭礼 青島参道商店街 青島海水浴場
県立青島亜熱帯植物園 青島と歌碑  
戻る 次へ
青島と歌碑
古くから景勝地として名高い青島は、古来より多くの人々によって、詩や歌にうたわれています。そして若山牧水をはじめ多くの文人が訪れ、歌碑も残されています。
若山牧水(わかやま ぼくすい)
歌人。本名繁。
明治18年8月24日、医師若山立蔵(りゅうぞう)の長男として宮崎県東臼杵郡坪谷村(現日向市)に生まれる。延岡中学時代から作歌、牧水と号し、早稲田大学英文科に入るとともに尾上柴舟門下となって雑誌『新声』の歌壇による。1908年(明治41)卒業と同時に歌集『海の声』を出版し、10年出版の第三歌集『別離』によって同門の前田夕暮とともに歌壇に「牧水・夕暮時代」を現出させ、前後2回の短い新聞記者のほかは、もっぱら歌人として生活する。20年(大正9)東京から静岡県沼津に移り、28年(昭和3)9月17日に没した。
また、1910年創刊の歌誌『創作』を生涯主宰し、全国多数の新聞雑誌歌壇の選者として広く後進を導き、歌のほか優れた紀行文、随筆が多く、生地に記念館がある。
●歌碑の場所…参道筋の松林
檳瑯樹(びろうじゅ)の古樹(ふるき)を想へその葉陰 海見て石に似る男をも
若山牧水
長塚節(ながつか たかし)
明治12年〜大正4年 歌人、小説家。
茨城県岡田郡国生村(現 石下町国生)の豪農の長男として生まれる。
3歳の頃に小倉百人一首をそらんじ、神童と言われ、早くからその才能を発揮 していた。
21才で正岡子規の門をたたき、伊藤左千夫らと「アララギ」を創刊。一方で病気療養を兼ね、すげがさ、わらじという軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠んだ。
結核を発症し、旅をしながら九州大学付属病院で37才の短い生涯を閉じる。
●歌碑の場所…青島亜熱帯植物園内
とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のをらぶ夜は憂し
(大正3年9月13日 36歳)
長塚節 長塚節
金子兜太(かねこ とうた)
大正8年、埼玉県に生まれる。秩父郡皆野町に育つ。
茨城県旧制水戸高校在学中に俳句を始め、復員後日銀に勤めていた昭和37年に俳句「海程」を創刊。現代俳句協会名誉会長。
句碑は金子さんと親交のあった故山下淳さんの夫人の呼びかけで、宮崎俳句研究会、海程宮崎支部などが賛同して建立。宮崎市芸術文化連盟などが協賛した。
●句碑の場所…青島亜熱帯植物園内
ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ (平成17年7月10日 85歳)
金子兜太
 
歌碑は残されていませんが、放浪の俳人として有名な種田山頭火も青島を訪れ、よんだ俳句が残っています。
種田山頭火(たねだ さんとうか)
明治15年に山口県で生まれる。明治・大正・昭和にかけての俳人で、自由律俳句のもっとも著名な一人。大正14年に寺男となり、翌年から雲水姿で西日本を中心に回りながら句作を行い、旅先から俳句雑誌「層雲」に投稿を続けた。
青島にある「角屋」に宿泊したことがあり、俳句を詠んだ事がある。
波の音たえずして郷(ふるさと)遠し
古に残る青島を詠んだ歌
桜川瀬々の白波しけければ ほのかに見ゆるしだの浮島
赤玉は 緒さへ光れど白玉の 君がよそひし尊とかりけり
沖津島 鴨つく島に我が寝ねし 妹は忘れず 世のことごとに
 
 
歌碑はありませんが、古くから詠まれていた歌
 
おきつ島 鴨つく島による波の よるともみえぬ 秋の夜の月
(黒木光蔵)
鯛とると船が帆かけて 乱るれば 沖は にわかに ひろくなりけり
(長塚節)
から国の草木しげれる青島の 木の下暗に 神あそぶらん
(鈴清子)
南より流れたる種子ひとつ わが遠き代のこと しぬばしむ
(斉藤茂吉)
みなぎれる朝開の海に橋ありて 青島に渡る人 多く見ゆ
(土屋文明)
磯の千鳥は なきなき渡る むこう青島 月あかり
(野口雨情)
浮ぶ青島 びろう樹のかげで とろり見ましようか異国の夢を
(西条八十)
<方言狂句> ビロン葉に冬んねえ国ん風が吹く
(詠み人知らず)
<尖りの浜にある石碑> 異国めく日向青島青嵐
(大野晩睦)
戻る 次へ
トップへ戻る
宮崎商工会議所 〒880-0805 宮崎県宮崎市橘通東1-8-11
あおしまを歩こう 印刷用